今月の上旬、祖父の四十九日を終えました。
私が高校卒業までの18年間一緒に暮らしていたが、祖父とは3年ほど会えていなかった。
だからなのか、消化しきれない感情が多い。
今回はそれを少しでも良いものへ消化できればと書くことにしました。
祖父は晩年、股関節周りの骨折から、車椅子での生活だったという。
(長らく会えていなかったので私には車椅子で生活する祖父は全く想像できない。)
車椅子生活が始まってからは以前から発症していた認知症も進行していき、施設にお世話になる機会が多くなった。
施設でコロナ陽性者が出ると家に帰ることも面会も簡単にはできなくなった。
私も県外に住んでいたため感染対策の観点から面会には行かなかった。
本当は会いに行こうと行動すれば面会する機会ならあったのかもしれない。
でも、本当は
弱っていく祖父を見ることが耐えられなかった。
私を忘れていたら辛かった。
そんな言い訳があったのだろうと今は思う。
葬儀の前はそんな自分に後悔していた。
だけど、私の記憶の中の祖父はいつまでも自らの足で歩く祖父。
この記憶のままであるのなら良いのかもしれないと思う自分もいれば、それでも会いたかったと思う自分もいる。
モヤモヤと消化できてないのは空白の3年間が大きいのだとこれを書いていて感じた。
非対面が増えてきた現代に、人と会うことの大切さを最期に教えてくれたように思う。